あのとき君がおもっていたこと〜「溺れるナイフ」公開から一年経って再度本編を見返した私の話
2016年11月5日。
1年前の今日、私の世界は震撼した。
そう、「溺れるナイフ」公開初日。
まずは情報解禁から映画公開までの数ヶ月で私がどれだけ大友勝利を拗らせていたか、ここで今一度振り返ってみよう。
情報解禁の日の朝、WSで世に放たれた白いカッターシャツにどこか野暮ったい中学生のビジュアル。「えっ……君はまだ中学生役が出来るのかい…?」と我々オタクたちの頭を抱えさせた例のビジュアルだ。
以下、画像をご確認頂きたい。3-C大友ってその名札、絶対卒業式で女子に取られるやつだろ。
その後夏頃から徐々に特報や本編の数カットが雑誌等で解禁となった。この辺りで私は重岡くんにキスシーンがあることを知る。
お弁当箱と水筒を片手にした大友、椿を咥えて夏芽と笑い合う大友。何度も大友の笑顔を思い浮かべては大変胸が苦しくなったことを覚えている。
そして忘れてはいけないこのシーン。
重岡担のみならず、全国の女子のハートを鷲掴みにした衝撃の押し倒しシーンだ。しぬほど見た。何回もえずいた。他の映画を観に行った時に予告が流れてひとり呻き声を上げたのも忘れない。
本編公開前にここまで私の心を荒ぶらせるものがあっただろうか、いや無い。
私にはここまでの出来事全てが昨日のことのように思える。でも、すごく昔のことのようにも感じる。この気持ちは何なんだろうか。
十分お分りいただけたかと思うが私は「溺れるナイフ」を、重岡大毅が演じる「大友勝利」に会えるその日を待ち望んでいたのだ。
ここで補足だが、実際撮影されたのはその1年前の夏、当時重岡くんは22歳から23歳になった頃だったわけである。
映画の撮影をしているだなんて知りもしなかったその頃、23歳のお誕生日を迎えた前後であるパリピポからラキセまでのたった数ヶ月で彼が一気に大人びた印象が私にはあった。きっとそう感じていた方が殆どだろう。
そう、
夏が、彼を大人にした。
(なんかそういうCMこい)(なんの)
俳優・重岡大毅の名を世間に轟かせる転機となったのも、ジャニーズWESTの知名度を上げる要因となったのも、彼が今までよりもさらに魅力的な人間になったのも、彼が青春を擬人化したものというイメージが私達に深く刻まれたのも、全てこの「溺れるナイフ」が少なからず影響していると私は思うわけです。
これは完全に個人的なアレなのですが、私は大友(未)の重岡くんよりも、大友(済)の重岡くんにひどく惹かれます。
無論、昔の可愛らしい重岡くんも素敵なんだけれど、華奢な少年から大人に変わる(BGM:壊れかけのRadio)あのタイミングの彼はやけに儚く見えて、あの時期の映像や写真を見るとどうしようもなく泣きたくなる時があります。これがいわゆる「エモい」というやつでしょうか。
「溺れるナイフ」は最後の少年期、そして映画のラストにかけて大人の表情に変わっていった重岡くんを切り取り、形に残してくれた非常に美味しい作品なんです。たまらんでしょ。そうたまらんのです。
2017年11月5日、
「溺れるナイフ」公開から1年。
2016年の公開後には、初ドーム公演、全国ツアー、それぞれのお仕事、タイアップなど、目まぐるしく変化し、世界を相手に走り出したジャニーズWEST。
一年経った今、「溺れるナイフ」を見返して、重岡大毅という役者についてもっと考えてみたいなと。しがない重岡担の私ではありますが、この機会にしっかり文章として残してみようということで、このブログを書き始めました。
ちなみに私は原作を読んでおらず、映画を観た後この一年間、誰の考察も感想も読んでいないので、今更な話もたくさんしていると思うし、みなさんと別の解釈をしている点も多々あるかとおもいますが、そちらどうかご理解ください。
ちなみにここまでで1500字使っておりますが、まだプロローグです。御察しの通り、長いです。根気強い方は是非この先へ。
「826回見ます」
映画が決まったときにはテンション迷子でこんなことも言っていました。普通に無理でした。
そもそも飽き性な私は同じものを何回もみるだとか同じことを何回もするだとかが苦手な人間なのですが、自担の晴れ姿だ!と思い、映画館には3回足を運びました。
「キスシーン、シンドイ」が公開直前の口癖だったので、正直1回目は迫り来るキスシーンが不安で、下手したら途中退席もありえるんじゃ…なんて思っていたほどなのですが、キスシーンがあまりにも良い雰囲気の素敵なシーンだったのでまさかのそこで号泣。
重岡くんがかっこよすぎた。
冷静になった2回目、3回目。そしてBlu-rayを購入しさらに5回本編を観た私、本編ではそれほど細かく描かれていない大友があのとき一体何を思っていたのか、どんな気持ちだったのかを想像し、彼の人柄とあの映画における彼の役割みたいなものを紐解いていきたいと思います。(レポートみたいな口調になってきた)
私が拾い上げた5つのキーワードを基に語らせてください。
①椿
この映画を語る上で、大友×椿についてまず触れない訳にはいかないですよね。
屈託のない笑顔の大友と大きく花開いた真っ赤な椿。なんたる色彩美。
重く、苦しいあの世界の中の唯一の光、太陽のような存在である大友。大友=椿、で表現されている意味とは……?
椿の花言葉から深掘りしちゃいましょう。
「控えめな優しさ」「誇り」
香りが少ない椿は、「控えめ」と表現されることが多いそうです。また、椿は散る時に花びらを一枚ずつ散らすのではなく、ぼとりと花ごと落ちるので、かつて武士は首が落ちることを連想して嫌ったようです、あまり縁起の良い花ではないという考え方もあります。
ここで椿に光と影の二面性がある、それはつまり太陽のような大友を巣食う心の影……と深読み芸人の想像が捗りますね。
また、椿は色によって花言葉が違うんですね。「溺れるナイフ」の椿は、赤です。
赤い椿の花言葉、調べちゃう。私調べちゃうからね。
「気取らない優美さ」や「謙虚な美徳」
特に赤い色の椿の花言葉は、他の色に比べ、人の心やあり方を褒めたたえるものが多い。
嗚呼、自分で調べておいて涙が出そう。
一生消えない傷も、大友だったら消してくれるかもしれない。消せなかったとしても、傷にそっと触れて、癒してくれるかもしれない。
夏芽もそう思えたから、大友が差し出した手をとったんだろうなと。
大友の人柄を余すことなく表現するのに椿は大切な鍵になっていると思いました。
また、椿のシーンで流れる「椿の視線」というサントラがまた良いんだ。大友シーンで流れるサントラはどれも優しい音楽でとても素敵なんだけど、やっぱりタイトルもシーンもこれが一番印象的ですよね……椿の花びらが風で舞っているようなピアノの切ない音楽なので、よかったら是非そちらも要チェケです。
この映画を観てからというもの、椿に敏感になった重岡担の方、多いのではないでしょうか。私もいつの間にか椿アイテム収集マシーンと化してしまいました。(完全に余談です)
②青と赤、コウと大友、ふたりの明度
映画内でコウと大友は対で表現されています。
コウは青、大友は先ほど椿の項目で挙げた通り赤。
映画を観ていて思っていたんですが、夏芽とコウにまつわるシーンって基本的に青ベースで暗いんですよね、色が。
逆に夏芽と大友のシーンは全体的に色鮮やかで、明るい気がする。あくまでも、そんな気がするだけ。
正反対の2人ですが、それぞれになんとも言えない魅力がある。2人とも儚くて優しくて強いのに、真逆。
そしてその2人の強烈な色にそれぞれ染まる、夏芽の表情も印象的です。
色のコントラストもこの映画の魅力ですよね!
③追う、追われる
映画館で2回目に観た時にこれに気付いて、すごく切なくなったのを忘れない。
夏芽は、体が本能で引き寄せられてるかのように、引っ張られるかのように、コウのことを追うんですけど
大友のことを追うシーンは一回もないんです。夏芽がコウに引っ張られるように、大友がいつも夏芽の背中を追うんです。
椿のシーンでは、「困ったことあったら、俺に言うてええからな」という大友の言葉を遮るようにコウの乗ったバイクがふたりの横を通り過ぎます。大友のその声は夏芽の耳には入らないまま、夏芽の体はコウに引き寄せられる。
きっと大友は、この瞬間、自分はコウには敵わないことに気付いていたはず。
下に落ちた椿の上を踏み潰すように通り過ぎていったコウ、咥えていた椿は夏芽の口から落ちる。まるでそこに大友が存在していないかのように。
大友が決して割り込むことが出来ない2人の世界を目の当たりにしているようで、私は観ていて苦しかったです。
④笑顔
大友が唯一、夏芽に求めたこと
それが笑顔です。
「笑ってや、なぁ。笑ってよ。
わろてよ、なぁ、
笑えよ…。」
別れを切り出された大友は小さな声でそう言います。あんな切ない顔見たことない。役とは言え、見ているこちらも苦しくなりましたよね……
コウに心ごとすべて持っていかれていて、でもコウに近付くたびに傷付けられていく夏芽をおそらく一番近くで見ていた大友は、自分の力でどうにかして彼女を笑わせたい、幸せにしたいと思ったんでしょう。
でも、大友は最初から全部分かっていた気がします。自分が好きなのは、自分のことを好きな夏芽ではなく、コウのことが好きな夏芽なんだと。
あれだけ笑わせてあげたいと願ったのに、自分に別れを告げるとき、「嫌いになって」と言って泣いた夏芽。
私が大友だったら、泣いた理由もコウを忘れられない罪悪感からきているものなわけで、どれだけそばにいても、自分には笑わせることも、泣かせることすらできないんだなって、そう思うとおもいます。(すぐそうやって大友になろうとする)
でも大友くん、夏芽ちゃん、最後ちゃんとわらってたよ
⑤握手
付き合い始めと、お別れの時。
大友は同じように手を差し出します。
笑わせるから、頑張らせてと言って出した手。
最後には、「友達や」
と言って同じように手を差し出してさよならするんですよ。
こんな悲しいお別れありますか(メソメソ)
この日の夜、大友くんは何を思ってベッドに入っただろう。
泣いたりしなかったかな、
そればかり心配になります。
大切だから触れるのにも恐る恐るで
触ろうとしたのに一回手を引いてしまうような。
キスする前のたった一度だけしか下の名前で呼べないような。(夏芽って呼ぶのはここだけなんですよね苦しい)
なんて愛おしいんでしょうか。
一年経って改めて見返して思ったことは
やっぱり大友勝利という人はとても愛おしい人だということ。
人をまっすぐ愛せることができて、みんなに愛されるひと。
そんな大友が今日もどこかで笑って生きてるんじゃないかと思わせてくれるのは、俳優・重岡大毅の力だとおもいます。
大友が今日もどこかで幸せでありますように。
エンドロールで堂々と3番目に名前が流れてくるのを観ると、私はとても誇らしい気分になります。
私が好きなグループの、大好きなセンターは、こんなに素敵なひとなんだぞ、と、世界中に自慢してまわりたいくらいですね、ほんとに。
どうか、まだこの映画をご覧になられたことの無い方も、重岡くんをよく知らないよという方も、是非一度。
きっとまた、彼の笑顔に会いたくなるはずです。