君と僕の切符〜自担がラブソングを作詞しました〜
ガタン ゴトン
決して便利な場所にあるとは言えない立地の古びた木造の駅は、周辺に住んでいる人が街の中心地へ出るために利用する程度でラッシュ時でもさほど混むことはない。端っこの座席に座って手すりにもたれかかりながら見る窓の外の景色の9割は緑で、澄んだ青空は高い。
ゆったりとした穏やかな時間が流れる街に昔から通っている古い電車の軋む音。
たったこのカタカナ6文字で、わたしはこの景色を脳内に描きました。そしてその電車の座席には、重岡くんが座っている気がしました。
この6文字は、ジャニーズWESTの重岡大毅くんが初めて作詞した楽曲、「乗り越しラブストーリー」の書き出し部分です。
初めてこの楽曲をラジオで聴いたとき、「めちゃくちゃ重岡くんだ」そう思いました。「重岡くんっぽい」が具体的にどういうことなのかと聞かれると答えるのが難しいのですが、なによりもまずそう思ったのです。
かっこいい言い回しもないし、おしゃれな単語も出てきませんが、言葉の1つ1つが、私の思う「重岡大毅」らしいなと思ったわけです。これも彼の思惑にまんまとハマっているのでしょうか。
私事ではありますがつい先日、数年ぶりに切符を買って、実家の最寄り駅まで電車に乗りました。
徒歩で通勤しているのでICカードにチャージする機会もあまりなく、残金もわずかだったのでなんとなく券売機で切符を買ったんです。
路線図を見上げて、駅までの電車賃を調べて、小銭を入れて、金額ボタンを押して。
「目的地はあの駅」と意識して、私は切符を買った。
ICカードを使っていると、ある程度の金額チャージしてるかどうかくらいしか気にしていなくて、目的地までの片道の運賃なんてあまり考えなくなっていたんだなぁということに気付きました。
そして、ふと思いました。
切符だからこそ「乗り越す」んだ。
「ここまでしか行けない」と分かってそこまでの切符を買っているのに、目的地がわかっているのに、
それを「乗り越す」ということ。
この歌詞について私がどれだけ時間をかけて考えたって、私達が知り得る情報は本人やジャニーズWESTの他のメンバーの口から明かされる制作秘話だけ。
重岡くんが一体どんなことを考えながら、どんな想いを込めてこの曲を描いたのか。歌詞に出てくる二人がどんな話し方で、どんな顔をして笑っているのか、それは重岡くんにしかわかりません。
でも、歌詞を見て、音を聴いて、歌声を聴いて、私が思い浮かべた風景を、あえてコンサートでの演出を見る前にここに書き記しておきたいと思いました。きっとコンサートでこの曲を実際に聴いたら、また別の解釈をするのかもしれません。それもまた面白いなぁなんて思うわけです。
だらだらと思ったことをブワーしますので、宜しければどうぞお付き合いください。
※以下、歌詞に特化して記述しておりますので、桐山くんの素敵な歌声について触れていないことを先にお詫びします。
「乗り越しラブストーリー」が初解禁となった際、多くの方が「重岡大毅が描いたラブソング」という強烈な字面に被弾し、「乗り越し」という言葉の意味について言及していらっしゃるのをTwitterで沢山お見かけしました。ここでもひとまず、「乗り越し」という言葉の意味について触れておきましょう。
まず「乗り越す」とは
本来降りるつもりだった駅で降りないで、その先の駅まで行くこと
そこで浮かんでくる疑問がコレ。
「乗り越す」と「乗り過ごす」って何が違うの?
なんかニュアンスとしてはなんとなくわかるんだけど、うーん。なんと表現すれば良いのかむず痒いですよねよーくわかります。
以下、ご覧ください。
これら2つの間には少し意味の違いがあります。
「乗り過ごす」は、基本的に「うっかり」「不注意」な感じがします。意図的ではないわけです。
一方「乗り越す」は、「うっかり」の場合、意図的な場合の両方に使えます。
おい!!!みんな息してるか!?!?
うっかり、と見せかけて、意図的な可能性があるんですよあの曲には!!!ヒィ!!!
確かに歌詞を辿ると、自然な感じを装いながら彼女に近づこうとする彼の意図的な行動が読み取れる気がしますよね。
(「よっ」って言えよはよ)
(こっち気づいてや)
そして私はこの曲の歌詞を見ながら何度も聴き込んでいくうちに、こんなことをふと思ったのです。妄想大好きな深読み芸人はこれだから困る。
「おや、これってもしかして、甘酸っぱい初恋を振り返る大人になった僕目線のお話なんじゃないの?」
「あの頃の僕」と、そんな僕を懐かしそうに見つめているもうひとりの「大人になった僕」が同じ電車内に存在しているんじゃないかと。「大人になった僕」が初恋を経験し、大人になっていった「あの頃の僕」を回想する設定なのではないか?
そうだったとしたら重岡くん、この曲を派生させてそのまま短編小説とか描きましょうよ。
これ以降、この曲の歌詞は「大人になった僕」の言葉だと仮定して深掘りさせてください。正直、今の時点で深掘りしすぎなんじゃないかと不安になってます。でもせっかくなので続けます。
久しぶりに電車の中で見かけたあの子、声をかけられずにいるあの頃の僕を見て、普通に声かけたらええやんけ!なに顔赤くなってんねんアホか!、なーんて窓に映る顔を赤くしたあの頃の自分を見て、大人になった僕は呆れてるんでしょうか。
車窓透けた 僕赤ら顔
この表現、小説の一節みたいでとっても素敵ですよね!
車窓に「映る」僕、でなく
車窓に「透けた」僕。
会わない間に綺麗になっていたあの子の横顔を見て、柄にもなく赤くなってる自分が恥ずかしくて、そんな心のドギマギも車窓は透かしてしまったのかしら。
そんな片想いからどんどんと距離は縮まり、大人になった僕は電車に乗って、彼女との日々を目を閉じて思い出していきます。
描き出されている二人の幸せすぎるエピソードの中でも、重岡担のみならず、全オタクの心にデッドボールをぶち込んできたのが2番の冒頭の歌詞です。
まだ歌詞をご存知ない方は心して進んでいただきたい。
重岡大毅くんが、恋愛ものの映画で想像を十分に膨らましたあと、間接照明をつけた部屋で頭を掻きむしりながら、あーでもないこーでもないと書きすすめたということを念頭に入れて、声に出して読みたい日本語。
誕生日にくれた 流行りのキャップ
実はサイズ きつい
「私も一緒に使いたくって」
ってエヘヘちゃうで
はいドーーーン(爆発)
重岡くんって彼女と帽子シェアするのアリなの!?そうなの!?ブヘヘ、となったのは私だけではないはず。ていうか彼女可愛すぎませんか?そしてそれを「エヘヘちゃうでほんま……」って愛に満ちた呆れ顔するんでしょ……むり……(語彙力の欠如)
しんどいエピソードはまだまだ続くよ!
彼女にちょっかいをかけたくて、寝顔をパシャリするんだ。彼女が怒るのわかってて。
それだけでもまあしんどい。しんどいけどその後にはもっと強烈なワンフレーズが私達には待っているよ!
「もうやめて〜」って僕見つけてギュッ
ギュッ……………
怒ってんのにギュッ…………する彼女可愛いかよ………
そしてこの後、重岡くんはまた素晴らしいフレーズを生み出すのです。
アダムとイヴも二度見しとったやろ
表現が秀逸すぎると思いませんか?
アダムとイヴに二度見させたのは後にも先にも重岡くんだけではないでしょうか。
神様に一番はじめに造られた男性と女性に二度見されるんですよ、発想が凄まじい。
ジャニーズwebの連載「なにわぶ誌」でもこの文才の片鱗を垣間見ることができるので登録されている方は是非チェックを!
そんな幸せな思い出を思い返す間にも、電車は次の駅へと進んでいきます。またドアが開いて、人が降りてまた別の人が乗ってくる。
ドアが開くたび、大人になった僕は
「まだ好きなんや」
「まだ降りないで」
幸せそうな二人のエピソードが続く中、ドアが開く瞬間、彼は少々弱気な言葉を呟きます。
これは「あのとき言いたかったけど言えなかった僕の本音」なのかもしれません。
昔は強がって言えなかったことも、大人になると案外ぽろっと言えたりすることもありますよね。心も体も強くなったからこそ弱さを見せることも出来るようになる。大人になった僕はきっとそれに気づいたんでしょうね。
「ドンと構えた僕の切符」
「ポケットつまづいた僕の切符」
「ポケットでぽけーっと僕の切符」
僕の切符はドンと構えておきながらも、つまづいたり、ぽけーっとしたり、なんだか置いてけぼりになっているような印象を受けます。
でも彼から見た「君の切符」は「幸せそう」。
ここで初めて、君に対する表現がどこか他人事のような、曖昧なものになったことにお気付きでしょうか。
僕を待つ君がもしいたら
どんなに笑えんだろう
本当は知ってた サヨナラだって
この三行が綴られたあとに
「君の切符 幸せそう」
と続くのです。
さよならだってわかっていた。
けど「僕には君が幸せそうに見える」
幸せかどうか、本当のところは分からないけど、今では聞くすべもないけど、そう見える。
「もう君は僕より先に進んでしまった」
それに気付いたときついに、僕が降りる駅が見えてくるんですね。
いや、スタンディングオベーションですわ。
シンプルなのにこの切ないストーリー性は何なんだ。なにも難しい表現はない。何なんだこの胸にスッと入ってくる切なさは。
この曲は最後、
「揺れる心ゆけ涙 僕の"愛してる"」
という歌詞で締めくくられています。
僕はきっと降りるべき駅で降りて、歩き始めたはず。でも涙と"愛してる"だけは電車に置いて、乗り越したんじゃないかと。涙も"愛してる"も、君のためのものだったから。
このブログの冒頭で、「乗り越す」の言葉の意味をつらつらと挙げましたが、実は最後に小さく、こんな意味も書かれていたんです。
他を抜いて先に進む
これは私の勝手な憶測ですが、「あの頃の僕」を「大人になった今の僕」が乗り越した、やっと乗り越せたんだったとしたら、よかったな、なーんて、ね!
だって「笑うために泣いてた」んだもんね。
重岡くんの脳内は宇宙なんじゃないかと思うことがよくあります。
物事の咀嚼の仕方が独特で、それをそのまま彼らしく吐き出す膨大な語彙力。強烈に人を惹きつける表現力。
そしてそれは誰かを傷つけることがないように、優しい膜に包まれている。
私の拙い表現で説明するにはこれが限界ですが、重岡くんの言葉はどれも優しさで一度膜をしてくれている気がします。
それはコンサートでの挨拶だったり、ラジオでのリスナーさんからのお悩み相談への回答だったり、咄嗟にメンバーをフォローする時の一言だったり。いつだって隅々まで配慮されている気がします。
勿論重岡くんだって人間なので、綺麗なことばかり考えられるわけでも、言えるわけでもないはず。
嫌になることもあるだろうし、腹が立つことも文句や愚痴を言いたいときだって絶対あるはずです。
でも重岡くんは後ろ向きなことは言わない。少なくとも私たちが見ているところでは絶対に言わない。
そんな「私たちが思う重岡くん」を、重岡くん自身が本当の自分を犠牲にして演じてくれていたとしても、それが重岡くんという人間なんじゃないか。プロ根性。仕事人。うーん、なんだかうまく言えないけども。
私は先程、重岡くんの脳内を「宇宙」と例えましたが、それは「何を考えているのかわからない」といった意味も含まれています。
だから今回の作詞は、彼の想像であれ何であれ、普段は鍵をかけて見せてくれない一面を見せてもらえた気分になって、なんだか嬉しかったんです。重岡くんの脳内を覗き見してしまったような、ほんの少しの罪悪感。笑
アイドルを全うしている人の、恋したときの感覚を覗き見するのはなんだかくすぐったいというか、なんというか、ね。
本人はこの曲について、「恋を知って、失恋して、ひとつ大人になる瞬間」を描いていると雑誌のインタビューで答えていました。
多感な時期をアイドルとして過ごして、「青春もすべてジャニーズに捧げた」と言う重岡くん。本来ならばいくらでも経験できたはずのこんな恋を諦めたこともあるかもしれません。
この歌詞が、私たちに見せてくれたほんの少しの本音、だったらいいなあ。
重岡くんにとって、きっと大切な曲になるだろうし、私たちファンにとっても大切にしたい、あったかいラブソング。
それが私のおもう「乗り越しラブストーリー」です。
以上で、私の重めの研究発表を終わります。
ご静聴、ありがとうございました!