どうして夏は終わるんだ

ジャニーズWESTを、重岡くんを、考える。

彩度を自在に操る光・わたしから見た小瀧望というひと

 

 

2019年。

日本中がいつもとは少し違う1年を、なんとなく落ち着かない様子で過ごしているように感じられる。

平成が終わる。

 

平成元年に生まれた私は、令和元年の夏に30歳を迎える。30歳を迎えるだけでも節目の年だなと思うのに、元号を跨ぐことでそれがまたさらに貴重なもののように思えてくる。

そして同じく2019年、私の大好きなジャニーズWESTがデビュー5周年のアニバーサリーイヤーを迎えた。こちらもデビュー後初めての「節目」となる1年だ。

 

彼らの2019年の活躍はすでに目まぐるしく、次々と私たちファンの元に彼らからの嬉しいニュースが舞い込んでくる。特に4月に入ってからというもの、新番組やバラエティ番組、雑誌の表紙祭りなど寝て起きればハイ、ハッピーニュース!

なんてしあわせな目覚めなんだろうとつくづく思う。

 

正直、ここが力の見せ所だと思う。

ご本人たちも、私たちファンにとっても。

アニバーサリーイヤーということもあり、メディアに取り上げられるタイミングが増える=今まで知らなかった方々の目にも触れるようになる、ということだ。

 

私はジャニーズWESTの皆さんのことを、兄のような、はたまた弟のような、友達のような。とにかく近しい存在に感じてしまっている。

頑張っている姿が公にされなくても実際には見えなくても、どこからかそれが滲んでいて、痛いほどに伝わってくるからだ。それはとても人間らしくて愛おしい。

とにかく幸せになってほしい、いや、なってもらわないと困るのだ。

 

頑張った分だけ報われてほしいし、悩んだり苦しんだ分だけゆくゆくは笑ってほしい。彼らがむかし見た夢と、今見ている夢がほんの少し違っていたとしても。彼らの夢は叶うべきだ。

 

私は30歳を迎える大人としても、ジャニーズWESTのファンとしても、この1年を大切に、丁寧に生きたいと思う。

そんな1年をどこか記録に残すことはできないかと考えていくうちに、2019年中に、大好きなジャニーズWESTのメンバー7人それぞれにフォーカスを当てた記事を書いてみることを思いついた。そう、ただの自己満足だ。

でも、今のこのドキドキやワクワク、そしてジャニーズWESTへの思いを今の自分の言葉で残して、3年後、5年後に見返すのも面白いのかもしれないと考えた。

 

その名も、

「わたしから見たジャニーズWESTというひとたち。」

 

私から見た彼らひとりひとりについて、書き留めていこうと思います。

ひどく偏った見方をしていたりして、該当担の皆様方が不快に思う部分がないとは言い切れませんが、もし興味がわいたら、この先読み進めていただけるとうれしいです。

 

 

 

 

わたしから見た小瀧望というひと

 

 

私は彼にこんなイメージを持っている。

「なんでもスマートにこなす天才肌」

 

最年少ながらジャニーズWESTの先陣を切って数々のドラマで活躍している小瀧くん。「イケメン」なのだが、「ハンサム」と表現したくなるようなどこか儚くアンニュイな顔立ちの彼は、それこそどの年代の人から見ても文句なしの美貌と言えるだろう。

 

それに加えてこちらの期待値は当たり前、それ以上のものをそつなくこなすスマートさ。184cmの長身も相まって、一言でいうなら「完璧」。そんな彼に怖いものなど何もないのでは?とつい錯覚してしまう。

 

でも彼は22歳。まだ、22歳なのだ。

 

自分が22歳だった頃を思い返してみる。与えられ、やるべきことはやっていたが、果たして仕事に誇りを持ってやっていただろうか?自分の働きが他の誰かの評価にも繋がるなんていう、荷の重い仕事をしたことがあっただろうか?そもそもそんな仕事を任せてもらえることがあっただろうか?

目上の方への接し方はどうだっただろう?敬語は間違いなく使えていただろうか?失礼なことを言ってはいなかっただろうか、気配りは出来ていただろうか?

自分の理想が先行して、感情的になることも多かった。自分以外の誰かのことを考えることなんてなかった。

22歳、今自分で思い返すと、思っていたよりはるかに子どもだったように思う。

 

2008年夏にこの世界に飛び込んだ小瀧くんは、当時11歳。

小学生だった彼は、翌月にはユニットに加入(のちの7WEST)、瞬く間に注目を浴びることとなった。

多感な年齢、自分を取り巻く突然の環境の変化、人間関係。

すでに体が大きく大人びていた彼は、きっとその年代の誰よりも落ち着いて見えただろう。何を言われても平気なように見えたかもしれない。

まだまだ成長過程にある小さな脆い心を隠して、どんな風に日々を過ごしていたのだろうか。小瀧くんに対してもはや母のような気持ちを抱いている私は、過保護にこんな想像までしてしまう。

この世界で生きていく為、そして自分を守る為に、彼は同年代の子たちよりも何倍も、何十倍もはやいスピードで大人にならなければいけなかっただろう。

今でも時々垣間見られる子どものように口を大きく開けて笑う彼を見ると、周りが思う自分でいよう、完璧であろうと気を張り続けているんじゃないかとふと心配になることがある。

 

自担である重岡くんにも感じることだが、小瀧くんもメンバーに抱きついたり、体に触れようとする場面をよく見かける。

その度に「さみしい」という心理が無意識のうちに行動に現れているのではと考え過ぎてしまう。誰かの存在を感じないと、ひとりになってしまう、と無意識に思っていたらどうしよう。なんて。余計なお世話だろうが。

 

 

冒頭でも言ったように、私の目に彼は、いつでも余裕があるように見える。

 

「なんでもスマートにこなす天才肌」。

 

でも、果たしてそれは、彼が本来持っているものなのだろうか。

私と同じように、小瀧くんに「完璧」というイメージを重ねている人は少なくないと思う。

周りの期待、いや、期待というよりは、「できるよね?」という自分のキャパシティ以上の成果をはじめから求められていたとして。

 

彼に与えられた課題が、本当は本人にとって苦手なことだったとして、どれだけ努力して頑張って成し遂げたことでも、「出来て当たり前だよね、だってなんでもできるもんね」で片付けられてはいやしないか。

 

勿論彼には持って生まれた華がある。きっと求められたものをある程度すぐに形にするセンスも持ち合わせているだろう。

しかしあれほどの成果を生むひとが努力をしていないわけがないのだ。彼の性格もあるのか、それをジャニーズWESTのメンバーの中で一番出さないようにしているように感じる。

 

周りが思う「小瀧望」でいるために。

本来ならばプレッシャーでしかないはずの「完璧」というレッテルを。それをもはや、武器とするために。自ら身体中に貼り付けて。

 

そうだとしたら、とんでもない根性だと思う。

すごく、かっこいいと思う。

 

 

 

目立ち過ぎないように、なのか、小さく丸まって見えていたあの背中。

手足の長さに対して少々控えめに見えていたダンス。

やさしくて、器用に見えて実はすこし不器用で、かしこくて、気遣いのひと。

 

私は彼に、もっとそのすらっと伸びた手を大きく広げて生きてほしい。

背筋をピンと伸ばして、184cmの世界からしか見えないものや、気付けない色や景色をもっと教えて欲しい。

どんな光も拾い集めることができる、その瞳に映っているものを。

 

 

頑張らな、とひとりで走り出してしまうこともあるだろう。

22年間生きてきて、集めてきたものをしまっている引き出しの中に、探している答えがなくて悩むこともあるだろう。

 

そんな時は一度、周りを見渡してほしい。

誰かが近くにいたら、どうか思う存分甘えてほしい。

きっと誰よりも甘えられずに生きてきただろうから。

 

 

 

彼が背負うジャニーズWESTのピンク。

そのピンクは鮮烈に光を放つビビッドなものでもあり、時に頰を染めた血色のような穏やかなものでもある。

 

彩度を自在に操り、私たちにいろんな色を見せてくれる。私たちをいろんな世界に連れていってくれる。

 

 

そんな光がいるんだ、

 

ジャニーズWESTはどこまでもいける。

そしてきっと、いつまでも眩しい。