どうして夏は終わるんだ

ジャニーズWESTを、重岡くんを、考える。

永遠なんてないから、今日の君の幸せを。 〜ジャニーズWEST6周年によせて世界一重たいラブレター〜

 

 

「思い入れのある数字列」と言われて思い浮かぶものが、おそらくほとんどの人にあると思う。

 

誕生日なんかがその代表的なものにあたるだろう。たまたま時計を見たとき、時間が自分の誕生日の数字列だった場合、別にこれと言って何も起こらないことがわかっていても、キリ番を踏んだようなラッキーな気持ちになったりする。(キリ番ってどの年代まで伝わるんだろうね)

 

たとえば多趣味な人はさらに、その趣味にまつわる数字列にまで敏感になるため、思い入れのある数字はさらに増える。

 

私はジャニーズWESTを好きになってから「826」「7」という数字に反応するようになった。ちなみに関ジャニ∞が好きだった頃はありとあらゆるパスワードに「8」や「1103(錦戸亮さんのお誕生日)」などを織り混ぜるなどしていた。非常に安直な女だ。しかしそんな自分嫌いじゃない。

つい自担カラーのアイテムを手に取る、のような感覚で、自担にまつわる数字、それ即ち自分のラッキーナンバー、おまもりのような存在になっていくのだ。

 

そんな中、毎年この数字列が近づいてくるとおめでたい気分、かつ、また新しいスタートに背筋が伸びるような気持ちになる。

 

 

0423

今年も4月23日がまたやってくる。

ジャニーズWESTが「ええじゃないか」で念願のCDデビューを果たした日。

みんなの夢がひとつ叶った日。

 

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2020年4月23日。

CDデビューから丸6年経ち、ジャニーズWESTは7年目に歩みを進めることになる。7人揃ってだ。

さまざまな経験を積んだ大人が複数いる集団においては、もちろん一人一人考え方は違うし、物事の許容範囲も違う。体力の有無や心の強さだってそうだ。

意見の伝え方も捉え方も、やりたいこともおそらく違う中で同じ方向を向いて足並みを揃えることはとても難しい。そして集団が小規模であればあるほど、誰かひとりの見つめる先が変わったとき、どうしてもはっきり浮かんで見えてしまうものなんだろうなと思う。でもそれはきっと当たり前のことで、悪いことなんて一つもないと思う。

7年目も、7人が同じ方向を向いて一歩を踏み出してくれるであろうこと、まずは決して当たり前ではないその状況に感謝したい。

 

 

さて、長い前置きとなりました。ブログではお久しぶりです。シゲルです。

皆様いかがお過ごしでしょうか?

この記事を書き始めた頃は、世の中がこのような状況になるなんて思ってもいませんでした。

これからどうなっていくのか、全く先が見えない中不安も募る一方ではありますが、ほんの少しだけその不安なことを考える時間を減らして、ジャニーズWESTの話をしたいと思います。

 

明日、2020年4月23日でCDデビューから丸6年を迎えるジャニーズWEST。それによせて、今まで私の中にあった感情をここに書き残すことにしました。

これはジャニーズWESTへ宛てたラブレターでもあり、懺悔の手紙でもあります。今日まで思ってきたことを吐き出して、明日からまた新しい気持ちで応援するために書いた、自分本位な文章です。

ここから先はオフレコにしていた私の脳内を大冒険するつもりでご覧ください。140字で入りきらなかったツイートの延長戦と思っていただけますと幸いです。ちなみに最後まで読むと、9000字あります。

 

 

わたしの目に映っていたジャニーズWESTというひとたちのこと。

 

突然だが私は極度のビビリだ。

仕事での役職柄、「どうすればいいですか?」と解決方法を求められることや、自分が決断をしなければ先に進まない事案も増えたのでそうも言ってられなくなってしまったが、元々の性格としてかなりのビビリだ。

本当はいつだって何事も念入りに準備をしたいし、初めてのことをするときはイメージトレーニングを欠かさない。そしてなんと言ってもアドリブが苦手なのだ。(なので無茶振りや面白い話して!のフリにめっぽう弱い。だってスベりたくないんだもん。)

 

周りに自分がどう思われているかどうでもいいわ〜なんて強がってはいるけれど勿論気になるし、相手が何気なく選んだ言葉の意味を深読みして勝手に傷付いたりもする。言葉から事実を導き出してしまって悲しい思いをすることもある。非常にめんどくさいタイプの女だ。

 

そして自分の下した決断にはいつも自信がない。私の選んだ道を果たして誰かが支持してくれるだろうか。一緒に歩いてくれるだろうか。

私は私の道をひとりで歩けるほど、自らの下す決断に自信を持てずにいる。

しかし人間は、毎日とんでもない数の決断をしながら生きていくしかない。間違って勉強するしかない。でも私は、間違うことがとても怖い。

間違えることで、誰かの残念そうな顔を見るのが怖いのだ。誰かが期待してくれている自分でいたい。誰かが思い描いてくれている自分でいたい。

 

私はただのジャニーズWESTのファンだが、彼らの仕事の仕方や考え方を参考に生きているので、こういう時、ふと重岡くんはどうだろう、ジャニーズWESTはどうだろうと考える。

 

彼らは日々いろんな決断をしながら、私たちファンの反応を伺っているのだろうか。はたまた自分たちの決断に確固たる自信があって、自分たちが良いと思う道を周りは気にせず進もう!と決めているのだろうか。自分たちがした決断が、私たちにとって「正しい」のか、不安に思ったりするのだろうか。アイドルがファンを想って与えてくれるものに「間違い」なんて本来あるはずないのに。

 

 

ここでひとつ、物心ついた頃からずっとジャニーズを好きなジャニオタ25年選手である私が、迷ったり苦しくなったときに思い返しているオタク論を紹介させてほしい。

 

「オタク人生とはマラソンでもありリレーでもある。その時の自分の走りにぴったりハマるグループを見つけたら全力で伴走する、走るペースがズレたなとおもったら誰かにバトンパスして休む、またどこかで会ったら一緒に走ろうな!」(シゲル的オタクマニュアルより引用)(なんやそれ)

 

簡単に言うと、アイドルが決断して提供してくれるものを素直に受け取ろう、おや?と思ったことをアイドルのせいにはしない。ということだ。

これを念頭においておくと、大変クリーンで穏やかなオタク活動ができる、と思っている。(当人比)

 

人間は日々、たくさんのことを吸収し、どんどん大きくなっていく。当たり前に昨日より今日の方が知識が増えている。前に進んでいく。都度、目の前に現れる分かれ道をひとつずつ選びながら。

正直なところ、私は過去にジャニーズWESTに対して「私はこっちの道がいいなと思ってたんだけど、みんなはそっちか…」と思ったことがあった。ごめんなさい。

それを「変わってしまった」「自分が好きだった頃とは違う」なんて思うのは勝手な話だよな、とあとから猛省した。ごめんなさい。(3行ぶり2回目)

 

ついていけなければ、彼らと走るのをやめるべきだと思っている。自分がおや?と思ったタイミングで彼らを見つけるひとだっている、その時確実に彼らと走っていってくれるひとだってたくさんいるんだから、その人たちにバトンをパスして任せればいい。

この先どこかの道で出会うことがあれば、また一緒に走らせてくれ、それでええじゃないか。

 

私は出来る限りそれを胸に、ジャニーズWESTと走ることを選んできた。

ファンになってからいろんな景色を見させてもらった。いろんな感情を味わった。ジャニーズWESTを通じていろんな人に出会えた。いつだって、私は彼らからもらってばかりだった。

もらえるもの全てが私にとっては真新しく、キラキラしていた。もらえることが当たり前のように感じるようになった頃、ついに私は「これが欲しい」「これはいらない」と、受け取るものを選ぶようになってしまっていた。

受け取るものを選ぶということは、応援する側に与えられる権利かもしれないけれど、なんだか今までの自分のスタンスから少し変わってきている気がして、違和感を覚えた。

このことはあまり誰にも言えないまま今日まで来たので、この機会にその時の話をさせてほしい。(ここから下、あんまりいい気しない表現が一部含まれています、自衛してくださいね)

 

 

2018年9月号のMyojoの発売を私はとても楽しみにしていた。

重岡くんの二度目の1万字インタビューが掲載される号だった。一度目の記事の熱量がとても好きで、それから4年経った重岡くんがいま何を語るのか、純粋にものすごく興味が湧いた。

 

デビュー当時「テッペン」という言葉に拘り、ギラギラしているように見えていた重岡くんは、2016年12月の京セラドーム公演を経てその1万字インタビューで、「(テッペンを目指すことについて)俺はもう全然考えてへんなぁ。」と答えていた。

 

「こんなこと言っていいかわからないけど、評価基準は会場の大きさとかではないと思ってて、そこは二の次、三の次というか。大切なのは、いいステージかどうか。そこに熱量というか、パワーがあるかどうかだけ。」

 

重岡くんは「テッペン」というぼんやりとしたゴールをただ闇雲に目指すことはやめたように見えた。

 

「もちろん、まだまだ模索中な部分も多いんですけど、今はまだまったくアセリみたいなものはないっすねえ。理想のジャニーズWESTに向かって走り続けるだけというか」

 

私には京セラドーム公演が、ひとつのゴール、彼らがいう「テッペン」のひとつだったのかなと感じていた。だとすればそれを経験し、「自分たちの理想のジャニーズWEST」が明確になったこのタイミングで、不透明だったゴールが定まったのかもしれないと、記事を読んで思った。でも少しだけ、もう「テッペン」と言わなくなるんだなと思うと寂しい気もした。

 

同じ年の10月に発売されたananでは、重岡くん・濵田くん・小瀧くんの3人で「ジャニーズWESTに足りないもの、必要なもの」というテーマにこう答えている。

 

知名度と人気、やな」

「あと、アイドル性と実力。」

「Mステ観てて"人気急上昇中のアイドル"って、僕らそんなん言われたことある?ないっすね、って小瀧と話した」

「あったあった」

 

「でも見てて。こっからじんわり上がってくから。待ってて。」

 

 

そして迎えた2019年、ジャニーズWEST5周年。

ファンの中では2019年1月1日に日付が変わったその瞬間から、お祝いムードが漂っていた。

年明け一発目のジャニーズカウントダウンコンサートでとんでもないインパクトを残し、ホメチギリストでは頑張る社会人にフォーカスを当ててくれたり、何だかいつもと違う1年になる予感がした。これから一体なにを見せてもらえるんだろう、とワクワクしていた。

 

 

「ノータイアップでかっこいい曲をシングルで出すつもりはない。」

彼らがそう雑誌のインタビューで答えたのはその後すぐ、2019年3月のこと。

ライブで反応の良いかっこいい曲をテレビで披露したり、クールな面を全面に出していくことはしないのか?という問いに対して、それが5周年を迎えたジャニーズWESTの総意だった。

 

当時、私はどうしてもそれが腑に落ちなかった。

先程改めてその記事を読み返したが、今読んでも腹落ちするものではない。

前後の会話を端折られていたり、言い回しやニュアンスが違う可能性があるにしろ、大好きな人たちの進もうとしている道に納得できなかった自分が嫌で仕方なかった。

 

すでに私にとってジャニーズWESTは、ジャニーズ事務所のアイドルの中で唯一無二のグループになっていた。

歌唱力も高い、パフォーマンス力も高い。さらに加えて面白く親しみやすさがあり、なおかつ全員感じが良い。他のグループがやっていないようなことも沢山やっていたし、7人それぞれに才能、魅力がたくさんある。

いつだったか音楽特番で、元気いっぱいのジャニーズWESTを封印して黒い衣装で「Can't Stop」を歌ったことがあった。すごくかっこよかった。きっとあれをきっかけにジャニーズWESTに興味を持たれた方も多かったと記憶している。

その時ジャニーズWESTが見せる「かっこいい」は最大の武器だと確信した。いつもと違う一面を見せた時の「ギャップ」で勝てるのに、何故。

重岡くんがかつて言っていた「こっからじんわり上がっていく」の「こっから」が、私は5周年であるその時だと思っていた。モヤモヤした気持ちが残った。

 

このときおそらく私はジャニーズWESTの伝えたかったことの本質を掴めていなかったんだと思う。

ジャニーズWESTが「今はまだその時じゃない」のニュアンスでそれを言っていたんだとしたら、私は「その方向性ではもう行かない」ものだと勝手に捉えた。

面白いジャニーズWESTも勿論好きだけど、コンサートで垣間見られるかっこいいジャニーズWESTがすごく好きだったから、「この方向性でいくこと、わざわざ言わなくてもファンの子はわかってるだろう」とその後トドメを刺されたことで自分は随分長い間、解釈違いのファンをしてしまっていたんだと感じてしまった。いじけていた、と表現するのが一番しっくりくる。(かわいいね)(このエピソードをお友達に話したら青春だねって笑ってもらいました)

 

しかし今思うと彼らは、5周年という節目の年も、その先を見据えて着実に力をつける1年にする道を選んだように感じられる。

実際にドラマ、舞台、バラエティ、歌番組、ワールドカップバレーのスペシャルサポーターなどグループとしても個人としても活躍の場を大きく広げた1年だった。

 

余談ではあるが、記念の年の翌年のほうが重要なんだと、かつて上司が会議で言っていた。

記念の年は盛り上がって当たり前、さて、翌年どう動くかがこの後の明暗を分けるのだ、と。

記念イヤーでかけた販促が、翌年以降どう響いていくかを見極めていくこと。

ターゲットとしていた層へのアプローチは成功したのか?ターゲットの範囲を広げることで既存の層が離れることもある。それをどうやって回避するのか?なにで、どこで補填するのか?

認知度は上がったのか?そこで根付いた印象を継続させるのか、はたまた全く違う角度から切り込んで意外性を表現するのか?固めた土台に何を足していくのか?

 

その時はまだ若く、さほど意味を深く考えることもなくその話を聞いていた。しかし私は今ふと、この上司の話を思い出している。どこかジャニーズWESTの6年間と重なる部分があった。

 

ジャニーズWESTは、「ジャニーズWEST」という名前そのものをまず世間に浸透させる行動をとって、「ジャニーズWESTというパブリックイメージ」を、この6年で確実に根付かせたのだ。

 

「かっこいいものはライブに来ていただければ見れる」

あの時彼らがああやって答えたのは、ジャニーズWESTが好きでコンサートに来ている私達ファンしか見られない一面として、それを大事に取っておこうとしてくれていたからなのかもしれないと、まあかなりポジティブではあるがそう考えるのも悪くないだろう。

いじけていた頃には読み飛ばしてしまっていたが、どのインタビューにも決まって「この7人でファンのみんなを笑わせたい」と答えていた。

 

 

2020年3月18日

満を辞してジャニーズWESTは、6周年を目前に「W trouble」というアルバムをリリースした。所謂私の思っていた「かっこいいジャニーズWEST」だった。

今回のコンセプトやムービーの内容、アルバムの収録曲も世界観に合うものを選別したということを知って私は心底驚いた。彼らが見つめていた先にあるものがまさかこれだとは思っていなかったからだ。

 

私は「勝った」と思った。

「さて、やっと俺たちの時間やな、」とでも言いたげな自信に満ちた彼らの表情、言葉から確信した。ギラギラして見えた。

私の大好きなジャニーズWESTだった。

 

ジャニーズWESTの魅力は「ギャップ」。私が思っていたそれはきっと間違っていなかったと思う。

しかし、その「ギャップ」を見せるタイミングを、私はひとり焦っていたんだということにやっと気付いた。

「ギャップ」というものは、「イメージ」と乖離することで発生するものであって、そもそもの基盤がなければギャップは生まれない。

「あの時これでよかったんだ」と、タイミングが適切だったのかどうかは、後になってからしか分からない。

「焦っても、ええことない。」重岡くんが5周年の頃そう言っていた意味が分かったのは1年後の今になってようやく、だった。

 

 

今回、この記事を書くにあたって読み返した雑誌の中にジャニーズWESTの今後の方向性について話しているテキストを見つけた。2017年7月のものだ。当時私は読み流してしまっていたようだが、点と点が繋がっていくような清々しい感覚に陥った。3年も前から、いや、多分最初から、彼らの見ている先は一度も変わっていなかった。

 

「(一般の人から見ると関ジャニ∞と特徴がかぶるのでは?という質問に対して)自分たちは嬉しいですけど、確かに、誰の目にもわかる違いっていうのは正直ほしいところですね。」

「ジャニーズのは誰でも、新譜が出たら必ず聴くようにしてます。他のグループの曲を聴くことによって、その中にない盲点みたいなのを見つけられるかもしれないと思って。」

「その曲を聴いただけで映像が思い浮かぶようになる。そういうのを自分たちも作りたいんです。」

 

「やりたい番組はコントです!これだけは7人の総意!」

「エイトさんとの差別化って話が出ましたけど、確かに僕らだけの武器ってまだ具体的に出てこないから、それに当たるのがコントになっていけばいいなと。」

「関西Jr.たちが活躍・成長する場を作りたい。僕らもですけど彼らには場数が何より必要やし、切実な問題として"次の仕事いつやろ"っていう不安は常にあるはずやから。」

「ジャニーさんはいつも"千秋楽に泣くな"っていうんですよ、"関西の子たちはどうして泣くの!"って。でもそら泣くよぉ〜、明日から予定ゼロなんやから!」

 

常にアンテナを張りつつ、関西色を強めた活動をすることで他のグループが手をつけていない「隙間」や「盲点」にアプローチができる。

それはきっと先輩が作ってくれた地元関西から全国区へと羽ばたくための基盤を後輩のために守ることにも繋がっていく。

そのための6年間を、彼らは歩んできたのかもしれない。

 

 

3月から始まるはずだったジャニーズWESTの「こっから」。その機会を奪われてしまったことがとても悔しい。

作り込まれたツアーからの、ドーム公演。

彼らの作った最高の世界を私は存分に味わいたかった。

どうしてこんなにジャニーズWESTの成功を世界は拒むのか、とすら、当たりようのないものに苛立ってしまう。

 

しかし、それすらもチャンスに変えてしまうのがジャニーズWESTという男たちだろう。

最近嬉しいことに、「YouTubeジャニーズWESTを見て」「MステでW troubleを見て」好きになったという方からTwitterでお声掛けいただく機会が増えた。このような状況でもジャニーズWESTは確実に「見つかっている」。

いま平穏な日々が続いていたとしたら、その人たちはジャニーズWESTに出会うことのない世界線を生きているのかもしれないと思うと、「ピンチはチャンス」という言葉を信じてみたくなる。

 

ジャニーズWESTは、全員が全員、4番エースというわけではないかもしれない。

でも、ここぞという時にしっかり逆転ホームランを打って「奇跡」をちゃんと目の前で見せてくれる人たちだと思う。

奇跡とか、運命とか、そういう不確かなものでも信じてみてもいいかもしれないと、そう思わせてくれる人たちだと思う。

 

彼らは自らを「逆境に燃える男達で構成されている」と言った。2020年のコンサートツアー全公演見送りが決まった後に見る悲しいお知らせの途中で、まさかクスッと笑ってしまうだなんて思いもしなかった。

会いたかった。行きたかった。悔しかった。そういう感情はしばらく後を引いたが、その中でも、この人たちを今日まで応援していてよかったと心底思う気持ちがあった。

 

永遠や一生なんてどこにもない。

明日何かが起こって、彼らを好きな自分がいなくなってしまうかもしれない。

だから私はまず、今日のジャニーズWESTを好きでいる。そして今日1日の幸せを願って明日も明後日も生きていくことにする。

また考えるきっかけをもらってしまった。やっぱり私はいつだって、彼らにもらってばかりなのだ。

 

 

さて、何度でも言うが私は極度のビビリだ。

自分の決断したことに対して、周りがどう思うか、賛同してもらえるか、自信がないからいつも怖かった。

でも、誰になんと言われようと、私が「そう」だと思うなら、未来はわからないけど確実に今の答えは「そう」だし、彼らが「そう」だと信じて進む道に「間違い」なんてことは絶対にない。そう、絶対に、だ。

 

 

0423

きっと何年経っても、たとえばいつか彼らと走るのをやめたとしても、私にとっておまもりのような、ずっと大切な1日になるんだと思う。

そして今まで出会ってきた人はもちろん、これからジャニーズWESTに出会うたくさんの人にとっても、おそらく大切な1日になっていくんだと思う。

こんな状況下でも、明日がその日だという事実だけで、やっぱり少し胸が躍る。

 

この日に思いを馳せる時、一緒に思い出すものが、何年経っても楽しそうに笑っている7人であればいいなぁなんてクサいことを考えている今の自分のことを、

 

 

そうだなぁ、ジャニーズWEST10周年の頃にでも思い出し笑いできれば。